阿波踊り

8/13広島を昼過ぎに出て高松経由で徳島入り。もちろん、乗り継ぎの40分を使いタクシーで讃岐うどんを食いに行く。

阿波踊りと出会ってしまい、僕のレイヴへの熱が醒めたのは否定できない事実。
1キロ四方の幹線道路や公園に観覧席のある演舞場が7箇所も作られそれを結ぶ道が踊り広場として解放される。演舞場を結ぶ道の回りで演舞場から出てきた連が輪踊り(フリースタイル)をやり、町中どこでも踊ることが出来る。
もちろん、誰でも、どんな格好でも、どんな踊り方でも。
リズムも色々あるので、チルしたいとき、激しく踊りたいとき、、そのときの気分でリズムを探せばよい。
川面に出てカップルや女を必死にナンパする男どもをぼんやりと眺めるのもまた楽しい。
5年目ともなるとリズム隊が遠くから聞こえてくるだけで、上手い下手、踊りのスタイルが想像できるようになる。

今年は苔作、双六、蜂須賀連と至る所で遭遇。
苔作の強烈なリズム隊はまさにイマドキの音。
これを聞いて踊り出さない人はいないでしょう。
この手のBPMの早いものがやはり人気があるのかどこも早弾きを必ず取り入れているんですが、太鼓がもうぜんぜんだめ。
苔作のグルーヴを感じてしまうとどこも物足りない。双六が何とか聞けるかな程度。一定のリズムを刻むことは出来ても(それさえ出来ないところもある)自然に上げ下げしてグルーヴしていく、リズム隊の一体感は苔作の独壇場。
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でもね、なんだかんだ言ってもオーセンティックな娯茶平のしなやかな美しさ、ストイックな美しさに敵うものは居ない。
どこの連もせっかく三味線隊が居るのに、あの音色をぶちこわしにする音量でリズム隊と横笛ががなる。
娯茶平はちがうの。
ほんとうに美しいオーケストレーションが、ぞわぞわとからだの下の方から込み上げてくる感動とともに身体を包み込んでくれる。

最終日まで居られなかったことが悔やまれる。
僕の理想のダンスとヴェニューが徳島にあります。

原爆 from mobile phone

8/11お盆ということで、名古屋、広島の墓参りに。

名古屋の祖母は近場の大型店がデパートという都心暮らし。87歳とは思えない元気な身体と呆けの進む頭とのギャップ、子供返りが母達には受け入れがたく僕ら孫の方がフラットに付き合えるようだ。僕らの忠告は素直に聞くが母達の言うことは聞かないということなどもあるようだし。。。

広島は駅から30分市電で行った港から高速船で30分という江田島。海軍時代から兵学校のあることで有名な島。祖父母が亡くなってから荒れていく一方の地所の手入れ。壊して更地にしてしまえばよいのだが、海賊末裔の我が家は島と海を見晴らす山の中腹で車のアクセスも難しく費用が膨大となる。行くたびに15メートル近く伸びた雑木を5,6本、竹を2,30本切り倒す。自然の生産力には呆れるしかない。

原爆の日を過ぎた広島に原爆の香りはほとんどしない。兄、父が被爆者である僕の父から原爆の話題が上ることはない。語り継がれる立場であった僕が、語り継ぐ立場になる過渡期の年齢であることに気付く。小学校の自由研究で、熱心に通った原爆資料館に絶対入ろうとしない父の気持ちが理解できなかったが、この歳になって少しわかる。僕ももうあの資料館には入る勇気がない。はだしのゲンも表紙さえ見るのいや。
でも、僕の見たこと、聞いたことは最低限でも伝えていかないといけない。間接体験でさえ強烈な痛みを感じる凄まじい体験。

南風食堂 出版記念パーティー

料理ユニットととしてここまでの成功を収めるとは正直思わなかった。
立ち上がり方から端で、あるいはどっぷり状況の一部として見てきて、冷静に判断は出来ない。
僕の生活の中で彼女たちの存在は大切な食材レベル。いりこくらいマスト。
うれしい。
趣味としての領域を超えてしまいつつあるので、いま過渡期にあると思う。
こういうときは精神のバランスが壊れやすいのですごく心配。

今回は選曲を任されて、ひと月ぶりに人前に立つ。
You make me so very happyを隠しテーマに世界の音楽紀行。
アイヌ音楽とセイグワーがどはまりしたんだけど、反応は圧倒的に変なカリプソやロックステディだったり、ど本線のトム&ジョイスだったりする。

祝い酒に彼女と一緒に久米仙クースの寿を。
三原さん小岩さん江
御目出度う
南風食堂を
はじめたときの
初心・感動を
わすれないでね
倭月one love

この酒、片付けモードのなかで開けてスタッフでスパーク!
リクエストDJとなってソウルセット、フレイムスでジャンプアップ。
kiiiiiiiの多田ちゃんナイスグルーヴ。
なにげに、しげ@cowbooksがもっともリズム感があったりしておもろい。

横浜美術館 アフガン小屋完成






南風食堂 三原&小岩が差し入れ!














小屋窓から中をのぞくというところが色んな意味で心が騒ぐ
奈良さんがアフガニスタンで撮った写真やばい
完成後しばし皆で覗き小屋を堪能して撤収
夜景が奇麗だった

横浜美術館2日目


豊嶋秀樹 爆睡!  野澤裕二 爆睡!



掘建て小屋のイメージなので、拾ってきた材料を自然に汚らしく貼付けていくというのが意外に難しい
廃な感じを高めるエイジングもすこしずつ考える

横浜美術館 アフガン小屋








横浜美術館の企画展ノンセクト・ラディカル 現代の写真?の奈良美智兄の展示をgrafが制作することに
SMLからの流れの小屋制作 僕とエリックが手伝うことに
またまた廃材を使ったアフガニスタンの廃な小屋
その中で奈良兄のKABUL NOTE 2002という写真をスライドで流す

途中から奈良さんも加わる
いつものごとく、初日はなんとなくゆる??い感じで始まり
ゆる==い感じで終わる

日も明るいうちから飲んでます????

SML撤収


SMLが終わった まだちょっと人のざわめきが残る会場
またどこかで使う日のためにナンバーふってばらしていく
SMLだけじゃなくAからZまでやったら面白いんちゃうかって
26個の小屋って面白そうだね








オペラシティアートギャラリーありがとう

打ち上げをかねて西荻窪ののらぼうへ
豊嶋ゆうじ南風三原ますや長谷川というくいしんぼう面子
も???極上の食材と素敵な調理にフレッシュフレッシュ!



涙。

しゅんくん@circulationが教えてくれた記事。
なぜ、メスなのに弥助なのかは謎。


2004.05.09
読売新聞東京朝刊 38頁 1170字 04段
忠犬の衷心 
北アルプスで遭難…主人の死をみとる 
救助隊見て姿消す ふもとのマイカーで「帰り」待っていた

 富山県大山町の北アルプスで五日、男性の遺体が見つかった。そばには男性の飼い犬が。救助隊が近づくと山へ消え、約十三キロ離れた岐阜県飛騨市神岡町で発見された男性の車のそばに犬の姿があった。遭難から四日間ほど、男性のもとを離れなかったとみられる。救助に携わった人たちは「主人が救助されるのを待ち続けたのでは」と話している。
亡くなったのは、名古屋市南区明治、会社員鈴木茂さん(51)で、死因は凍死だった。犬は、メスで五歳の甲斐犬(かいけん)「弥助」。鈴木さんは犬と四月二十九日に入山した。黒部ダム南西にある北ノ俣岳(2662メートル)の尾根で五日朝、横浜市の公務員原岳広さん(33)が遺体を見つけた。
 あたりは風雨が強く悪天候が続いていた。富山県警山岳警備隊に通報した原さんは「黒い毛の中型犬が、遺体に付き添うようにしていた。私が手招きすると、ほえて、遺体のそばから離れようとしなかった」と語る。
 近くに、引き裂かれた跡のあるヤッケのズボンが残っていた。原さんには「動かなくなった主人を犬が何とか運ぼうとした」ように思えた。
 山岳警備隊は天候の回復を待って、翌六日に遺体の収容作業を行った。隊員らが到着した時も弥助は遺体のそばにいたが、弥助はそのまま山中に走り去ってしまった。
 鈴木さんの車はこの約五時間後、岐阜県飛騨市神岡町で見つかる。隊員が駆けつけると「犬は車のそばをとぼとぼと歩いていた」といい、そこで保護された。
 県警の調べによると、鈴木さんは二日か三日に死亡したとみられる。付近は三日から強風が吹き荒れた。四日は氷点下まで冷え込んだ。
 遺体収容に協力した太郎平小屋の五十島博文さん(64)は「犬は寒さの中で空腹に耐えながら救助を待ち、険しい山道を駆けて、主人が戻って来ると信じて車に向かった。犬と人間のつながりのすごさを感じた」と話している。
 家族の話によると、弥助は鈴木さんが約三年前から飼い始めた。「やっちゃん」と呼ばれてかわいがられた。
 大学生の長女飛鳥さん(21)は「父は『自分の娘』と口癖のように言っていました。山が好きで、冬は狩猟に出掛けるなど、月に二回は一緒に山に行っていた」と、弥助がうらやましくも思えた。弥助は六日夜、大沢野署で家族に渡された。その時、家族もこれまで聞いたことがないような甲高い声で鳴いた。
 鈴木さんの通夜は八日、営まれた。いつものように庭にいる弥助。飛鳥さんは「父の部屋の窓をじっと見つめるように座っています」と話した。
 
 〈甲斐犬〉
 体高は四十五―五十センチほどの中型の日本犬。山梨県原産。一人の飼い主に忠誠を尽くす性格から、狩猟犬や番犬に向くとされる。一九三四年に国の天然記念物に指定された。

石垣2日目


石垣港から西表へ 朝の腹ごしらえということで栄福食堂へ
おっちゃんいっつものとおり元気 もちろん、やぎそばを頂く うまい


























いえ????い 僕らのアイドルミナミコメツキガニ
干潟でこいつらと遊んでるだけで西表は満足







夕食は念願のはてるま  那覇から移られてからは初
女主人みずから海に出て、畑に出て食材を求める
究極のレストラン だからといって肩肘張る感じではない
居間で食べさせてもらっているようなゆる??い店
料理はほんと命を頂きますという感じ













諏訪へ

早朝、諏訪へ到着。先週の上社に続いて今日は下社の御柱祭
諏訪湖がいい一日を予感させる佇まい。

6時の駐車場開場を30分並んで入り、急いで出発点の棚木場を目指す。
約5キロの山道。かなりの数の人が蟻の列よろしく山を登る。
途中、山の道具を清める斧立社(よぎたて)という素敵な名前のお社にお参りをする。

出発点の棚木場は30分おきに出発する5本の御柱を引く人々でごったがえす。

 

引き綱に子綱を括り付けて引く。
春宮一之柱を担当する岡谷市の氏子さん達に混ぜてもらう。
この祭りのために戻ってきている人が多い。
至る所で同窓会状態。
故郷のない僕にはうらやましい光景。

引き綱が200メートルくらいあるので、その諸所に散らばっている木遣り隊の息が合わないと何千人が力を入れても御柱はびくともしない。
息があって御柱が動くのは5回に一回程度。
思った以上にきつい。
素晴らしい声を持つ木遣りがすると空気がピンと張りつめ力が漲ってくるから凄い。
木遣りと引き子がシンクロする瞬間。皆でシェアする感動。

僕らのような飛び入りも多く、途中からどんどん引き子が増えていく。
山道なので途中狭隘なところでは通勤列車状態で、まともに引けない。
こういうボトルネックな部分が数カ所あるのでときには30分で50メートルなんてことも。
人が多いことが必ずしも早く進むことにはつんzがら無いところが奥深い。

御柱を曳行する元綱を触れるのは黄色い元綱衆。赤いのは御柱の細かい舵取りをする梃子衆。かっこいい。

先行する秋宮四の柱。自分が曳いている柱はなかなか見ることが出来ない。

先週の雪が嘘のようなきつい陽射し。アイロンもバテ気味。
松本から来ているPizaa Oneという石窯ピザの移動販売車のピザを昼飯に。
これがうんめぇ??
川上犬のオーナーで、写真を見せて貰ったがかわいい???

木落し坂到着。急な坂を重い引き綱と共に下りるのでけが人続出。
誰もがこの坂を下りたいと思うので気持ちはわかるが、曳かない勇気も必要。
ここで、「人を見るなら御柱」という言葉がよくわかる。
引き綱から離れると危険防止のために坂下に下ろされるので、みな必死。
ちょっと醜い。僕ははじめから引き綱を離れ転倒する人たちのフォローに回る。
みんな御柱に夢中で冷静な判断力を失っている。。
骨折含め何人もの人が怪我をする。ここでも問われる自己責任。いざ、大怪我がした人がいることが明るみに出れば責任は主催者に行ってしまうこと、そしてそのために次回からの祭りがより管理されたつまらないものになること。ちょっと考えればわかること。女性子供年寄り、突起物のある荷物を持つ人、不安定な荷物をいっぱい身につける人。エゴのかたまり。転倒しても引き綱にしがみつく姿は「蜘蛛の糸」を思い起こさせる。
何十人の介錯をしたことだろうか。。。

木落とし坂に到着して2時間近くかかってようやく追い掛け綱(御柱を後ろに引くストッパー)が切られ落ち始める。
おそらく事故防止のために落下直後にいったん止まるようにこぶが作られていてそこで、華乗り(端乗りの美称か?)が振り落とされる。
元綱衆や近場にいた僕らで再び引いて落とす。

落ちていく御柱。
そばで見ていると意外とゆっくり。
樅の木は皮をむいてあるので滑り落ちていく御柱に飛び乗ることはまず無理。

どさくさに紛れて氏子でもないのに上ろうとする不届き者が多い。
御柱の周りで転がっている人を介錯していると、上
から上から人が転がり落ちてくる。きりがない。
こぶだらけの上級者ゲレンデに素人スキーヤーがどんどん入ってきてる画を思い浮かべてくれたらいいでしょう。
ラグビーで鍛えられた密集での踏ん張りとタックルがこんなところで役に立つ。

 

華乗りを争う男達。

無事に木落としを終える。

引き子、華乗り、木遣り、ラッパ隊、誰からともなく歓声が沸き起こる。

あれだけ引き綱に群がっていた引き子もハイライトの木落としを終えるとどこかへ行ってしまう。
木落とし近くになると現れて威勢の良かった威勢の良い衆達はもちろん居るわけもない。
曳行が遅れて昼も30分しか休まず引き続け。たしかに辛いとは思うけどね。
徐々に暗くなり、声上げ続けの10時間。引き子も綱持ってるだけの人も多いなか、真剣に引き続けているので流石に筋肉の至る所が痙攣し、一触即発。
地区長さん達に殊勲賞だよと何度もお礼を言われ、それだけが励み。
でも、今日一番楽しかったのはこの木落としから終着点の注連掛(しめかけ)の曳行だった。

注連掛に到着。こて衆が全員でたかって安置場所に。

木落としで追い掛け綱を切った斧頭。斧(よき)も美しい。
この顔を見る限りは一発で綱を切られたんでしょう。

曳行開始から12時間。お疲れ様。

この日の模様

追加補足

うっかりしてました。
アラビアンないとが2004にバージョンアップしました。
ここに、上記の「イラクからの短信」<29人に向けて>が掲載されております。
是非、アクセスして下さい!
29人のうちの一人からのお願いです。
宜しくです!

遠い国イラク

先日知り合ったDNAの渡辺さんがひと月前からイラクへ入ってます。(詳しくはアラビアンないと2003最新情報を見て下さい。)
渡辺さんから「イラク短信」と題する貴重なレポートを送って下さっています。
日本人では思いもしないイラクのひとの発想・思想、逆に僕らと共有している価値観について低い視線で捉えて記されている。(内容に関して転載許可を得ておりませんので、興味のある方は僕に直接コンタクトください)
日常に埋没しがちなこの問題をギリギリのところで意識させてくれることに感謝。
たかが、一回お会いしただけの方がイラクに行っているというだけで、僕にとってのイラクは身近で気になる国へと変わった。
そして、昨夜の邦人が拘束のニュースに血の気が引いて、画面に釘付けになった。渡辺さんの名は結局無く安心すると共に、もし、今後、彼に万が一のことがあったら自分はどうするであろうかと考えた。もし肉親がその状況になったらと考えた。
けっこう冷静な結論が出て、自分は冷たい人間なのだろうかというちょっとネガティブな思考ループにはまる。
遅い夕食を作りはじめることでいったん断ち切る。

ふざけるな!

イラクで捕まった日本人は覚悟して行ってるんだから、こんなに騒ぐのはおかしい。
家族が首相に面会を求めているなんてありえない!
なんて愚かで、非常識で、自分勝手なんだろうか。
あんたらと会う時間を割くために浪費されるリソースについて考えたことがあるのか?
首相の立場を考えたら世論を考えて会わざるを得なくなるでしょう。
無神経の極み。
それを批判もせず垂れ流すメディア。どーなってるんだい。
イラク派兵とは別の次元の話。

イラク戦争もうやめてくれ!ケツ持てよ合衆国。 がんばってくれ自衛隊。

ひさびさ

李くんに頼まれてビーコンの社長送別パーティーの会場に僕の機材を届ける。
最近は滅多に繁華街に行かないので表参道がまぶしい。アニバリサリが会場だったんだけど、入るのに気後れした僕はもう町には戻れないのでしょうか。。。

最近、ネット界で大きな?話題の?イベントを仕掛けたニックが選曲。奴の得意のパーティーな選曲が炸裂していったんでしょう。妙にとぼけた味は相変わらず。僕は場違いなので早々に退散。
まぁ、それにしても、色んな繋がりの友がいる会社で、ある意味吹きだまりなのかなぁ(失礼)
いや、みなさんひさびさ、ご無沙汰してすいません。
僕は元気です。ピース!

MAHAKALA

魚の香りに誘われて、MAHAKALAランチ。
非番の某民鉄車掌さんの小池さんとその弟子っこと相席。
なんと、小池さんはあの水蕎麦で有名な山都町の出身。
あの蕎麦を喰って育ったなんて。。。
地にいると当たり前で、有り難くもなんともないそうで、うらやましい。
コシアブラなどの山菜情報ももらい、近々、福島への旅をするっきゃないモード。

MAHAKALAのそば茶も山都町産。

目覚めてみれば。。。

当然のごとく、小さな町に何万人も集まれば、宿はないので、白樺湖の奥、女神湖の別荘地にあるとある組合の保養施設に泊まる。
前夜、月明かりに粉雪が舞って幻想的だった。
一抹の不安を抱きながら床につく。
起きてみれば、一面の銀世界。
宿の主に訊くとまだスキー場もオープンしているという、、、
とほほほほ。。。

借りたレンタカーがたまたまスタッドレスを履いていたので助かる。
しかし、除雪もままならない急傾斜地の別荘地。
宿はいちばん奥まったところにあるので、念のため別荘管理会社の四駆に牽引してもらう。

国道、県道はそれなりの交通量で路面が見えていたので、強気に奥蓼科の湯を頂きに行く。
渓流沿いのいくつかの温泉宿を目指すが、枝道にはいると狭く傾斜のきつい道が多く断念。
地図で調べて、県道沿いから徒歩でのアクセスが可能な明治温泉を目指す。
この道は明治温泉にアクセスするための街道で、温泉に至るまで石仏の観音様が一里塚宜しく並んでいるところが楽しい。(湯治客が完治のお礼に順に作っていったそうだ)
県道から入り口に小屋があって宿への直通電話が引いてある。バスで来る客を迎えに来たり、冬場は県道に車を置いてやってくる客へ心遣いか。
僕らも、車をここに置いて、インターフォンで営業を確認する。

徒歩で、渓流沿いの急坂を下りていくと、滝の脇にへばりつくようにして建つ宿が見えてくる。
思っていたよりも大きな宿。

滝となって流れる渓流を見下ろす素敵な風呂。
熱めの湯と冷泉(源泉)と露天風呂(窓がないだけで屋根はあるからこの表現は微妙だが絶景。冬は窓が付くから内風呂になる)があって、ぬる湯好きの僕には露天風呂が楽しめる。
冷泉に是非入って下さいということなので、意を決して入ってみる。20度ちょっとあるらしいのだが、身体を沈めるのにそれはそれは勇気が必要。
いったん身を沈めてしまえば大変気持ちがよい。
さすが源泉。濃厚に鉄の味がする。砂が敷き詰めてあるのかと思うくらい大量の湯の花。
ぬる湯、あつ湯、冷泉と渡り歩くといつまでも入っていられる。というか、出たくない。

宿の主が水を撒いて作った氷柱も美しい渓流の眺め。
雪がないときに、この渓流を散策してみたい。
あ???ごくらくごくらく。
当日朝までに予約しておけば昼食を座敷で取ることも可能なようなので今度は試してみたい。
というか、次回は宿泊してみたい。
広いロビーにびっしりと並ぶ書籍がけっこうそそられるタイトル。

宿の近くにある御射鹿池(みさかいけ)。
人工池なのだが、幻想的な美しさ。
諏訪大社の鹿狩り場を由来とする名もナイス。
東山魁夷がこの池をモチーフに画を描いたのもうなずける。

諏訪に下り、下社の秋宮へお参り。
出雲大社には及ばないものも立派な注連縄のある神楽殿。
ご神木が本尊のためこぢんまりとした拝殿しかないのも好感もてる。

来週の下社の御柱に来れるかどうかわからなかったのだが、例の木落としの会場だけはロケハンしておこうと行ってみる。
すげぇ
スキー場の上級者ゲレンデだよ。20から30度ある。
下の国道を走る車が小さく見える。
途中まで下りてみたが、雪でぬかるむ足場でとても無理ということで引き上げる。

春宮にもお参りを。
秋宮と同様の構成の境内。拝殿も同様にシンプル。しかし、独特の威圧感がある。
伊勢神宮とかに通じる空気。

すっかり冷え切った身体を暖めてくれる宿場の外湯。
下諏訪では新しい施設の湯である児湯。
開放感はないながらも露天風呂があるので、ぬる湯&露天すきの僕には文句なし。
250円という料金もね。

で、岡谷名物の鰻を食べて帰る。

結局、往復とも下道。

ホラーカフェ

で、散歩中に北野神社にお参りに寄ったら、向かいの有閑マダムのティールームが、唐突にホラーカフェなるイベント会場になっていた。
びっくり。
中を覗いてみると、えれ?????詰まらなかった。
あまりに、スノッブというか、いまこれやる意味がわからねぇ。
馬鹿らしすぎて写真も載せません。
シアタープロダクトの服がなかなかぐっと来たぐらいかな。
野田凪プロデュース。サンアド辞めたんだね。
ホラーカフェ

Beutiful Sunday

なんかを朝からがんがんに流しながら雑事をこなす一日。
気が付いたらレゲー箱を漁ってベランダで日光浴。
あげくに、テンション上がって散歩したりしてしまうからはかどらないタスク。つもるタスク。
桜吹雪が始まって目黒川が桜に染まりはじめた。
満開過ぎたここからが、目黒川の桜の楽しいところ。

よっしー@wombレストランと坂口店長@恵比寿駅前食堂が3日に世田谷公園で花見をするからと発電機を借りに来た。
よっしー頭剃っちゃった。きゃぁ???、相変わらずかわいいいいいいいいい。
womb レストランは桜丘に良い物件見つかったので引っ越し中だって。クラブのレストランてことで過小評価されていたから、良かったと思う。またレストラン単体としてもアクセスしにくい場所だったからこれで面白い形にブレイクするかも。場所はsoma cafeの向かいにあった美容室の跡。
駅前食堂は本格的に工事が入ってると思ったら、オープンは5月だって。今度はスペインがテーマ(笑)またまた面白いことをやってくれるのでしょう。
五味くん@ikraの仕入れる魚が美味いからどの店もかなり期待大。