原爆 from mobile phone

8/11お盆ということで、名古屋、広島の墓参りに。

名古屋の祖母は近場の大型店がデパートという都心暮らし。87歳とは思えない元気な身体と呆けの進む頭とのギャップ、子供返りが母達には受け入れがたく僕ら孫の方がフラットに付き合えるようだ。僕らの忠告は素直に聞くが母達の言うことは聞かないということなどもあるようだし。。。

広島は駅から30分市電で行った港から高速船で30分という江田島。海軍時代から兵学校のあることで有名な島。祖父母が亡くなってから荒れていく一方の地所の手入れ。壊して更地にしてしまえばよいのだが、海賊末裔の我が家は島と海を見晴らす山の中腹で車のアクセスも難しく費用が膨大となる。行くたびに15メートル近く伸びた雑木を5,6本、竹を2,30本切り倒す。自然の生産力には呆れるしかない。

原爆の日を過ぎた広島に原爆の香りはほとんどしない。兄、父が被爆者である僕の父から原爆の話題が上ることはない。語り継がれる立場であった僕が、語り継ぐ立場になる過渡期の年齢であることに気付く。小学校の自由研究で、熱心に通った原爆資料館に絶対入ろうとしない父の気持ちが理解できなかったが、この歳になって少しわかる。僕ももうあの資料館には入る勇気がない。はだしのゲンも表紙さえ見るのいや。
でも、僕の見たこと、聞いたことは最低限でも伝えていかないといけない。間接体験でさえ強烈な痛みを感じる凄まじい体験。