上関に行ってみた そして中電が動き出した 僕も動き出す

広島旅行の予定をむりやりやりくりして上関へ行ってみた
http://www.wakimoto.org/hideshi/blog/index.php?date=2009-10-03

上関原発の工事準備のためのブイを運び出そうとする中国電力側を阻止する活動をしている埠頭へ
行ってもなにが手伝える訳でもないので、現場には甘味の差し入れの原則で
大阪のデパートで日持ちのするドーナツをたっぷり買っていった

渡すと、
どのような組織から来られたのですか?

いえいえ、ネットで知って大阪からまずは見に来ました
大阪では報道されてますか?
上関の事みなさん知ってますか?
矢継ぎ早に質問された
そう、ネットという武器がここまで届いていない
とうぜん、ネット上においても積極的な広報活動がない
余裕も無ければ、ネットの本質的な力を理解していな人たち
僕らの親とかの世代ですから、あたりまえ
生の声や感覚を伝えられただけでも価値があったのかも、、、、

祝島漁民、カヤック隊、長島の自然を守る会、彼らと行動を共にする人たちと
少しだけ田名埠頭で話が出来た
日本が嫌いな人、思想的に偏りすぎてる人、思い込みが激しい人とかが
もっといるのかと少し憂鬱になりながら行ったのだが、拍子抜け
長期戦のためか思ってたよりも落ち着いて理性的な場だった 
人として想いをシェアできる人たちと感じた
署名が足りないということでそれをまずは手伝いたいと思う

そして上関の建設予定地周辺にも行ってみた
自然海岸が続く瀬戸内では珍しいかいがんが続く
景色は典型的な瀬戸内の島の景色
江田島とそれほど変わらないので驚きは無かった
人目につかないところで作るんだね
瀬戸内の潮の出入り口に莫大な量の温水と殺貝剤を棄てるなんてやばいべ

祝島には行けなかったが、予定地の目の前だ
http://www.e22.com/atom/iwaishima.htm

行って感じた広い海、たぶんよそからブイ持ってくるのが
常識的な動きだと思ったら 台風の日にやはり動きあり

上関原発海の埋め立て着手—– NNNニュース(動画あり)
http://bit.ly/klTtU
youtube http://bit.ly/3Ya51T

にわか上関野郎の僕には20数年のもろもろはわからないが、
中電の役人な非人間的な対応や言葉には、脱力されるばかり
買い言葉で出たにしろ、またまた人心の読めない役所感覚 
「昔核実験の時放射能がいっぱいばらまかれたんだからちょっとくらいの放射能でむきになることはない」
と問い合わせの電話に出た中電の方の言葉。
http://bit.ly/2UUwTz

まずは僕が出来る事は、皆さんにメールやファクシミリを下記リンクより送ってもらう事
それに何の意味があるか? 
話題になっていないこと 注目されていないこと が行政や中電の大きな味方になるのです 
(もしかしたら上の山口放送のアクセス数も武器になるかもですね)
僕もメールやファックスなんて意味持たないと思っていましたが、
報道管制されている世界ではそれなりにインパクトがある
ということを元地方議員の方やある行政の方から
教えられました
(メールはまだ感覚的には軽いもののようです)

【呼びかけ】祝島より、緊急のお願い http://ow.ly/sTXX

僕のルーツの海 瀬戸内の問題に対してまずは首を突っ込んでみたいと思う
少しだけ、耳を傾けて頂ければ幸いです
少しでもアクションしてくれたら凄く嬉しいです

いちおう国土地理院の地図で予定地を
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=334732&l=1320206

まずは上関まで行ってみます

twitterではけっこう触れていたんですが、いちおうここでも
いま広島
祖父の家の補修作業と大量の柿の収穫と墓参りへいくつもりで予定組んでた
ところ、先月から原発建設へ向けて動きがあり、唯一補償金を受け取らない選択をした祝島という原発予定地の向かいの島の住民などが、連日動きを阻止するために身体を張っている

僕のルーツ江田島は瀬戸内に浮かぶ島
おそらく村上水軍という海賊の末裔
そしてその瀬戸内の出入り口に上関がある
ジュゴンの居る美しい浜らしい(ジュゴンは昔は瀬戸内でまあまあ見かけた)
交通の要衝であったということはそこから出る排水は瀬戸内にどんどん流れ込む
ただでさえ砂利採りでぼろぼろになってる瀬戸内をさらに悪くしていって良いのかな
ということで僕は広島で美味いもの三昧する予定を(蕎麦とか冷麺とかお好み焼きとか)諦めて半日だけ時間作り現場に行ってみることにした
そして、阻止のために身体を張っている人たちを励ましにいこうと思う

僕に祝島を教えてくれた青原監督のmixi日記の最新号
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1280030591&owner_id=2372531
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1280150725&owner_id=2372531

そして数日前に島を訪れたShing02の訪問記
http://www.e22.com/atom/iwaishima.htm

できれば祝島にも行きたいが一日3便の船のため肝心の家の補修を止める訳に行かず今回は諦める

ちなみに上関は下関と対になった言葉で長州藩(山口県)の瀬戸内海上路の東西に当たる場所
朝鮮通信使の宿泊、接待所があった、要は海の宿場町みたいなもの

とりあえず、見て感じてくる
原発予定地 向かいのハート形の島が祝島

広島そして江田島へ思いつきの旅

父の生家江田島へ行くことに
きっかけは、嫁が去年行ったときにいっぱいゲッットできた梅に味をしめてリターンズをってところから
まぁ、今年は早かったからもう終わってるはず
でも、なんとなく墓参りに行きたくなったので日帰りで
朝6時発で10時すぎに広島入り


まずは乾きを潤す
フルーツ田丸
フレッシュジュース
今日はパイナップル!

そのあとchocolateへ行くが今日は臨時休業中

そのまま平和記念公園へ
やまももがたわわに実る
原爆死没者慰霊碑に向かう
学徒動員で爆心地近くで行方不明の叔父を見舞う
慰霊碑から原爆ドームを抜くところで記念写真を撮っている団体旅行の学生
なんともいわれぬ違和感と憤り

「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」
公的に反米を掲げにくい社会、日本人の贖罪意識が生んだ主語曖昧な日本的な碑文
僕は名文解釈は人それぞれがすれば良いと思う
僕の解釈の主語は「僕らは」です
日本国民でも世界市民でも反戦家でもなく、死ぬのが嫌な人達です

土徳がロスアンゼルスで公開されたようです

そのまま近くの新華園の本店へ
昨年はスケジュールの都合で行けず、南風みはーが一人で行って楽しんできやがった店
広島冷麺の元祖といわれてる
噂などにちょっとびびりながら入店
こういうおっかないと噂の店は普通にしていたらまずは何も起きないですから
あの親父さんはお歳なのか、娘さんのパワー炸裂
ひさしぶりに、理解不能な速射砲広島弁のシャワー
常連さんに囲まれながら楽しく美味しく頂いた
キャベツ ねぎ からし菜 そして辛くてすっぱいシンプルなタレ
キャベツも冬に来たらものすごい美味いんだろう
夏でこの美味さですからね

この麺がまたうまい 麺だけでもくいたいな

常連以外は写真など撮れませんからこちらで

フェリーを使わず呉経由で橋2つ使う
ということで、
それはそれは素敵な江田島ローカルフリーペーパーBridgeが去年の号でプッシュしていた呉の素敵な八百屋ベネスティへ向かう
入ったとたん、喰わされる喰わされる
食べてみて? たべてみて?

はいトマト!
昔のトマトの野性的な感じを意識してるんですよ
このパインは芯までたべられるよ??
食べて?
パイン食べたときのイガイガするのがないでしょう
あそこのカブは生でも食べられるんですよ
だからサシミカブ
ちょっとまってね いま切るから?

元ユニクロ八百屋の野菜セレクトショップ
こんなんでやっていけるのか
いってほしい

この江田島の松井農園さんが作った男のトマト達
箱買いしました
まとめ買い割引であっと驚く値段!!!
江田じ丸も最後の一袋ゲット

海賊の末裔の実家は着実に廃になってきました
ここまでくると為す術も無い
墓参りし市議さんなどに挨拶し、旦那寺の教法寺さんへお参り
往時の江田島の繁栄を感じる何度来ても素晴らしい寺
前の住職さんちょっとお顔の色が悪そうで心配
エブリデイ新鮮&激安の川上ストアで梅、煮干し、ちりめんを手に入れて目的ほぼたっっっせい

で、桂浜温泉で極楽
古くからの造船の町
厳島神社の祭に使われる御座船はこの桂浜で作られる
気持ちのいい温泉に浸かり一日の汗を流す

このお造り3人前とお通しとウーロン茶で2千円ちょっと
いやいや、すべて常温の刺身ですよ!

ARTECO HOUSEに電話してみるとガンボ終わってしまったとのこと
残念ながら今日はパスして倉橋島へ
倉橋島も外れの方にあたる室尾という港町にある北吉鮮魚店を目指す
電話したところ刺身だけしか出来ないとのこと
それでも地の魚が喰えるならありがたい

てか、←これ珍味ねって出されたんだけど
イカの子 ちょ???????うまい!
これだけで、この店きた価値合った
濃厚!昇天!!!!!!!

しかし、ここで終わる我々ではありません

広島市内までもどり新天地のお好み村にあるえんじゃ
なんど来ても飽きない
このネギたっぷり、イカ天が蒸されてふやけた味、とろりと溶け出す卵
たまらんなぁ????
ここの卵はわざわざ双児卵を取り寄せているのでいつ行っても双子

さすがに日帰りですからこれで打ち止め22時に広島出発2時過ぎに戻りました

しまなみ海道


お盆恒例の広島今治徳島 墓参り&親戚巡りツアーへ





大島のはずれにある石窯焼きのパン屋ペイザンをネットで発見
土曜の午後だけお店を開けており、石窯で焼いたピザも出してくれるとのことなので、もう寄るしかないでしょう。
おとなしいカイ君もとってもナイスグルーヴ



ARTECO HOUSE CAFE


江田島の素敵なフリーペーパーBridgeに紹介されていたカフェARTECO HOUSE CAFE。
がんねビーチという昔のリゾートビーチ
廃業して荒れていた建物をオーナーが手を入れてカフェに
僕のルーツの土地である旧江田島からは地続きで目と鼻の先なのですが、入り組んだ島のためけっこうな距離がある

広島でソウルシンガーやDJをしていたトニーさんと奥さんが友人達と少しずつ手を入れて店に
ライブも定期的に行われる

上階の元の客間を見せてもらったが、60年代の和風リゾートといったおもむきの作りがぐっときます
今後はギャラリーとして使う予定とのこと
ゲストハウスとかやってほしいなぁ

料理はケイジャン料理(ガンボね)とTEXMEX系
このガンボが秀逸!!!
それほど、ガンボを食べたと言える人間ではないですが、それでも十数回たべたガンボの中では一番美味しい
しかも、ここの空気と景色にほんとうにマッチしているのでやばい

プライベートビーチのように広がる砂浜
宮島もむっちゃ近い

江田島へ


今回の目的は墓参りと、旦那寺の教法寺へお伺いしてご先祖様のまつり方をご教示いただくこと

広島 なわない 貴家。


南風食堂がgrafのワークショップで広島現代美術館行くという
僕も江田島にちょっと行きたいと思っていたのでそりゃなんか呼ばれてるなぁと思いこのタイミングで広島入り
夜に三原と合流して居酒屋なわないへ
有名な店なのだが今まで行けずにいた
いまはけっこうお店の数も増えてるみたい

日本酒そそられるものがそろっている
お魚ももちろんおいしい
それはそれはたいへんクオリティが高い
でも、なにか物足らんかった
なんなんだろうね

結局、腹一杯喰ったはずなんだが、お好み焼きを食べる
嫁と三原なので止める人は誰もいない
三原の宿に近いお好み焼き 貴家。
キャベツ甘いなぁ
美味しい締め ぐっすり休めます

土徳 ?焼跡地に生かされて

僕のルーツは広島県の江田島。海賊の末裔らしい。
村上水軍の流れを汲むらしいというのですけど、まぁそのへんはどうなんでしょうか。。。
天然の良港で海軍の兵学校(いまは海上自衛隊)があるので知られている。

神棚は家に設えたものの、御先祖様はなんとなくそのままイコンを置いてその辺りでお祀りしていた。
そろそろ、仏様と御先祖様をしっかりとお祀りしようと我が家の檀那寺である江田島の教法寺へ相談しようとgoogleで電話番号を調べてみると、「土徳」という映画のサイトがリストされた。
青原監督というドキュメンタリー畑の監督が自分のルーツ(=土徳)を求めて父をドキュメンタリーした映画 だった。

しかし、もう公開が終わっていて、なんとか見る方法がないのかと思っていたところ、ちょうど青原監督の新作が出たというタイミングに絡んでこの映画が日本女子大で自主上映されることになった。



映像作品としての技法はあえて?稚拙で少々面映いが、それをぶっとばすほどのライブ感
2時間以上の長尺映画にもかかわらずまったく時間が気にならなかった

広島ゆえに原爆、寺の家系ゆえに仏教という舞台が用意されていますが、それはネタに過ぎない
(これを反戦映画にしてしまうことは簡単ですが。。。)

監督は安芸門徒(浄土真宗)をテーマにすることがきっかけで生まれた映画といいながら、青原家は代々、寺の家系ゆえ、その安芸門徒の心のひとつであるわけですから、そのテーマを選ぶ時点で、遠まわしな自分という存在確認を始めたのでしょう
そして、父が病に伏すことをきっかけに父ともカメラを通すことで真正面に向き合うことができた

自分という存在が、いかに多くの人の縁、思い、代償の上に成り立っているか、一気にラストに向けて(しかし淡々と)収束していく

父の口からかすれる様な声で、力強く発せられた「土徳」という言葉がそれを端的に表現する、重い重い言葉だった

監督がこの映画を作った歳が、まさに今の僕の年齢で、僕はまだ、日本の文化の触りとかをうろうろとしているばかり
まだ、父と向き合うことに照れがある
そして、父、そして僕の存在に影響を与えた人々、文化や思想(=土徳)が知らないうちに消えていっている
一歩踏み込まなければと決意させてくれました

世代のギャップを埋めるために、日本の素晴らしい精神文化を理解するために、まず何をすべきか、ひとつの道を示してくれる映画です

■土徳オフィシャルサイト
http://dotoku.net/dotoku/index.html

藝州かやぶき紀行

#青原さとし監督が広島のかやぶき職人を追っかけたロードムービー藝州かやぶき紀行に対するmixiでのレビューです

心地良い音楽を求めて民俗音楽に、美味しいものを求めて土地土地の家庭料理にたどり着く
その存在する土地には、何らかのスピリチュアルな場が必ずといって良いほど存在していたので、知らず知らずのうちに日本の精神文化の大切さを感じ始めた

そうなると、(僕の知る限りの)父たちの世代が、日本の精神文化に無頓着なことを腹立たしく思った

そして、旅の先々で、あるいは村おこしのボランティアとして山村でお年寄りにインタビュー(というか茶飲み話)を意識的にするようになった

父たちではなく、祖父たちの世代が投げてしまった(戦争のために投げざるを得なかった?)ゆえに、父の世代が無頓着になってしまったことを知った

偉そうな大儀ではなく、気持ちいい生活を求めるために、いちど捨ててしまったものを、いまのうちに拾い始めないとまずいと思う

青原監督も 同じような危機感でこの映画を撮影されているのはないでしょうか
その中で、印象的だったのが、年老いた職人が、自分の次の世代を育てなかったことを悔いていること
僕がインタビューした方々からは出てこなかった言葉だった

茅葺屋根は絶滅するのか?
茅葺職人の技術は伝承されるのか?
美山の若い職人は意外にあっさりとした理由から答えを出す

屋根だけ残せば茅葺屋根か?
これはついつい忘れがちで深くそしてもっとも大切な問いでした

この映画を見るキッカケとなった土徳という素晴らしい映画も観る機会を得ることができました

Chocolate

A to Z つながりというか、mixiつながりというか、
弘前滞在中に、僕のmixiに足跡を残した古川あづさ姉。
プロフィールにあったHPにアクセスして一発でファンに。
久しぶりにwebでわくわくする感じがあった。
広島って言うのも何かの縁。
これは行かなきゃと決めていた。
お盆に広島に行ったときは定休日だったので再挑戦。
店のロケーションすごくいいところ。
こじんまりとした店。アプローチにそそられる奴らが並ぶ。
間違いなかった。
やば???い
なんと名古屋時代に北川@A to Zと知り合いだったというところから始まるこの縁。
僕の好きな店が広島に少しずつ増えていく。

Chocolate











原爆 from mobile phone

8/11お盆ということで、名古屋、広島の墓参りに。

名古屋の祖母は近場の大型店がデパートという都心暮らし。87歳とは思えない元気な身体と呆けの進む頭とのギャップ、子供返りが母達には受け入れがたく僕ら孫の方がフラットに付き合えるようだ。僕らの忠告は素直に聞くが母達の言うことは聞かないということなどもあるようだし。。。

広島は駅から30分市電で行った港から高速船で30分という江田島。海軍時代から兵学校のあることで有名な島。祖父母が亡くなってから荒れていく一方の地所の手入れ。壊して更地にしてしまえばよいのだが、海賊末裔の我が家は島と海を見晴らす山の中腹で車のアクセスも難しく費用が膨大となる。行くたびに15メートル近く伸びた雑木を5,6本、竹を2,30本切り倒す。自然の生産力には呆れるしかない。

原爆の日を過ぎた広島に原爆の香りはほとんどしない。兄、父が被爆者である僕の父から原爆の話題が上ることはない。語り継がれる立場であった僕が、語り継ぐ立場になる過渡期の年齢であることに気付く。小学校の自由研究で、熱心に通った原爆資料館に絶対入ろうとしない父の気持ちが理解できなかったが、この歳になって少しわかる。僕ももうあの資料館には入る勇気がない。はだしのゲンも表紙さえ見るのいや。
でも、僕の見たこと、聞いたことは最低限でも伝えていかないといけない。間接体験でさえ強烈な痛みを感じる凄まじい体験。

広島


早朝広島駅着。
噴水に腰掛けているとおばんが寄ってきてアイロン可愛がりながら話し込む。大阪の大国町に住んでるが広島刑務所に収監されている旦那に会いに来てるという。
物言わぬ動物を可愛がっておくと必ず恩返ししてくれるからな、大事にせにゃあかんよ。
といって、おもむろに財布取り出しエサ代だといって千円を押しつけてくる。旦那にうまいもん差し入れしてくれと丁重にお返しする。涙腺がゆるむ。
長くなりそうな話をてきとうに打ち切って駅前の市場へ。


全日空ホテルに前ノリしてる両親に合流し、裏の法華倶楽部のバイキングで朝食。薄暗くてバックパッカー宿に近いテイストあったんだけどこの夏リニューアルして全く別のホテルに。これなら女性の一人泊まりも出来るだろう。


宿からタクシーで宇品港へ。
すっかり変わったと聞いていたがあまりの変わりぶりにびっくり。
地方空港のロビーのようになっている。もちろん、10分に一便くらいの間隔で大小さまざまな船が出ているから十分にぎわっている。


いつ社名変更したのかファーストビーチなんていうリゾートな名前になった高速艇。
江田島まで30分強850円。
ダイヤ見る限りは接岸してワンタッチですぐ出航している運行スケジュールだ。
宇品でも小用港(江田島)でものんびり停泊しているのを見たことがない。
ほんと慌ただしい。
石垣島の八重山観光よりもハードなかんじかな。


一年ぶりに訪れる父の実家。
海賊(かっこよく言うと村上水軍)の末裔なので海を見晴らす山の中腹に建つ。
急な石段を登ると見えてくる玄関が僕は好きだ。
廃屋になりつつある家で玄関から繋がる眺めの良い洋間が母屋と別構造のため比較的しっかり残っているのは嬉しい。


来る度に広い農道が出来てたりして、廃れた感じの商店街とは違った趣のみかん畑。
ウチの墓所のまわりの急な山の斜面もコンクリで固められいくつもあった大木がばっさり切られて、みかん畑に連なる尾根筋に点在する墓所がとても明るく見晴らしのよいところになった。


母屋は崩れて兵学校の学生に貸していた離れを休憩所にしているが風呂もないので別に宿を取る。
今回は地続きの能美島の簡保の宿へ。
みかん畑と造船と牡蠣棚に兵学校(いまは術科学校)という資源の全てが見渡される。
平成の大合併で地続きの島が合併して江田島市になるらしい。市とはほど遠い雰囲気。