石垣2日目


石垣港から西表へ 朝の腹ごしらえということで栄福食堂へ
おっちゃんいっつものとおり元気 もちろん、やぎそばを頂く うまい


























いえ????い 僕らのアイドルミナミコメツキガニ
干潟でこいつらと遊んでるだけで西表は満足







夕食は念願のはてるま  那覇から移られてからは初
女主人みずから海に出て、畑に出て食材を求める
究極のレストラン だからといって肩肘張る感じではない
居間で食べさせてもらっているようなゆる??い店
料理はほんと命を頂きますという感じ













琉球フェスティバル


 照屋政雄のマニアックな口説からはじまった。
真っ青な空にチョンチョンキジムナーが妙に似合う。
神谷千尋のさがり花ってCDだと美しいんだけど生はいまいち。綺麗な歌声なんだけど浮世離れしてるというか声優の歌聞いてるみたいでちょっとがっかり。
しゃかりのボーカルがなかなかキャラよし歌よし。
目当ての一押しよなは徹。かっこいいなぁ。垢抜けなさすぎる拙いMCにも好感。ただ、しゃかりやパーシャの面子がバックつとめているのでどうも変わり映えしないと言うか、なんで沖縄で民謡とポップスが絡み合うとみなこういう米米クラブ風になってしまうのだろうか。。。。好きなのか?あのべたな感じ。三線はかなり良いんだけどなぁ。
我如古より子のナークニー(でいいんだよね?)が圧巻。ヤギ汁をちょっと思い出した。
宮良康正&鳩間千代子はなんかべたな観光ソングな感じでがっかり。与那国出身だからもっとどなんな感じ(勝手に太い荒い感じを想像してるんだけど)で来るのかと思いきやあれ???
この辺まではのどかに過ぎてゆく。うちなー口が全然分からない僕らがMCにきょとんとしてるのにゲラゲラ笑うおっちゃんおばちゃん達にちょっと嫉妬。しかも踊りも上手いから勝ち目無し。


パーシャクラブが登場するやいきなりいままで静かだった子達が大騒ぎ。大暴れ。ステージ前に殺到。客の4割はこれ目当てだったのか。。。べたべたなファンクなんだけどなぁ。。。わからないなぁ。。。すんげえ人気。
でも、この大騒ぎのどさくさに立ち見席から中に入れて貰うことが出来ました。(ありがとう谷中よみせ通りの「みさき」のご主人。泡盛もごちそうさま)
で、BEGINの登場。イカ天バンドなんて死語になる昨今のブレイクぶり。ブームが去っても渋谷百軒店のBYGで細々とライブを続けていた姿を知っているだけに嬉しい。(いまじゃBYGの顔になっている。ってかBYG自分で伝説のロック喫茶とか言うなよ!!!)
あれもこれもそれも歌いました(笑)島人ぬ宝は会場全体で大合唱。流石に泣けた。
で、セーグワーこと御大登川誠仁の登場。出てくるだけで会場の全ての心を掴んでしまうところは凄い。彼のこと知らない子供までが興奮してる。ヤマトグチの歌「緑の沖縄」なんど聞いてもいい歌。アンコールで口説ものやってくれて最高!用意されたマイクなんて使わず踊りながら近くにある彼の背丈じゃ無理な高さのマイクに向かってる姿。このフリースタイルな人に併せて演奏する人はたいへんだわなぁ。。よなは徹が太鼓やっていたがこれがまたうまい!

で、最後はカチャーシーかと思いきや安里屋ユンタの大合唱で終わる。これはこれで楽しかった。

どうも楽屋はもっと楽しかったらしいが。。。

後田多味噌しょう油製造所


何日か前に川平を訪れたときにたまたま見つけ、その雰囲気から一度訪ねてみようと狙っていた後田多味噌しょう油製造所に3度目の正直(けっこう不在の時が多い)でお邪魔させて貰える。


午前中にあらかじめ電話して置いたので、よく来た
ねぇと歓迎してくださる。
シークァーサーのジュースとお茶と味噌とその味噌で漬けたパパイヤの浅漬けという盛大なもてなしに恐縮。


手前が次回造る味噌の原料米。一回で100キロほど使う。四季の穂という地元の米。
奥のプラスチック樽が後述の旦那さんがプレゼントしてくれた仕込み樽。


黒島の牛祭りでも活躍していた大鍋(名前を失念)。
祭りで使うので、字ごとあるいは集落ごとにいくつか常備しているそうです。
これを使って、米、豆、麦を煮込む。


しま醤油の仕込み樽。
麦で麹を造り、煮た大豆と塩とともに3年寝かせます。


樽から出してもろみを味見させてくださる。
いわゆる醤油の香りに加えかなり酸っぱい発酵臭が来る。
ほのかに暖かい。
飲むと酸味が強いクセのある味。
この絞り汁に昆布と鰹節を加え煮出し、寝かせるとしま醤油の出来上がり。
たまたま醤油がなかったので、近くの仲間商店で求めたが昆布と鰹を加えることでまろやかになって酸味が和らいだ感じなっていた。


後田多 保子(shiitada yasuko)さんは代々味噌造りの家だったわけではなく、味噌を造り始めたキッカケは28年前に婦人会の会長さんが集落の女性を集めて昔ながらの味噌作りを講習したことが始まりであった。
昭和50年代といえば高度成長期で石垣でも大手の味噌が幅を利かせるようになって、手作りの安全な食品が減っていることに危機感を感じて味噌造りをはじめる意を決したそうだ。


かといって、主婦であった保さんにお金があろうはずもなく、息子達の進学費用なども必要な時機に売れるかどうかも分からない味噌造りに夫は反対で金銭面での協力は一切無い。
困った保さんは公庫に融資のお願いに行くと、大手の味噌がいっぱい出てるのに今更味噌造りなんてやめた方が良いと説教される。


保さんはこれで諦めることなく、手書きでで収支見積書をきっちり作成してもう一度担当者の許へ。
それを硬い表情で読み終えた彼は、お母さんひとりでこれを作ったのか?と訊ね、よくやりましたねと労をねぎらい事業資金の融資が決まったそうだ。


今は亡き旦那さんは造園業を営んでいたので味噌造りを手伝うことは無かったが、ある日、手伝うことは出来ないけれどと言って仕込み用のポリ樽をひと揃いプレゼンとしてくれた。


その後、このような昔ながらの味噌が珍しがられ口コミで評判が広まり県商工業賞を受賞するまでになり、今では、石垣の公設市場をはじめ空港の土産物売り場でも売られるくらい石垣を代表する味噌になる。
いまは、近所のおばぁ達に手伝って貰い月に1,2度味噌の仕込みを行っている。


保さんは近くの御獄(on)のツカサ(神司のようなもの)だったが足を悪くしたので昨年秋に引退した。23歳の時にくじ引きで3回続けて負けて泣く泣くツカサになったが、年に何十日にも及ぶ勤めの傍らで出来る味噌造りに巡りあったことに感謝しているという。



石垣島の中でも川平は御獄の数が多く、余所者への立ち入りを禁じてしっかりと管理しているという印象があった。
また、集落の入口には道路脇の電柱を使って注連縄が渡してあって、宗教が今なお深く根ざしていることが伺えた。


鰹や鮪やジャコなんかに胡麻やピーナッツを加えて多めの油で炒めて最後にこの味噌を加えて作る油味噌は秀逸です。
幸せな一品。

静かな海 賑やかな森

誰もいない静かな海
珊瑚の海は波の音すらない
良い天気
肌寒い
もう感覚がウチナーになってる
13度の夜はファンヒーターが恋しい
たぶん 風があるから体感気温が低いのもあるのだろう
石垣の夜は怖い
本当の闇というものが存在する
そして夕方から森が賑やかになる
自然への畏怖や敬意をストレートに感じます

先日のトラブルのおかげで島の抱える産廃事業の問題と役所の関わり方の一端を垣間見ることができた
今日も一宿一飯の情に助けられた
来て良かったと心から思う

ちなみに石垣からは携帯使って書き込んでます。

三線

ウエチが習っている会に飛び入り参加
もちろん弾けないので唄で参加
他愛もない歌詞だが心にぐっとくる
豊年の唄いいなぁ
ちょっと はまってみたい世界
ナイチでは難しいよといわれたが
いろいろとテープ買って変えるつもり
そのあとの食事で出たアーサの天ぷらうまかった。
ソーミンチャンプルも。
アーサやフーチバの天ぷらのおいしい作り方も教わった
アイロンの話をしたら(邪魔になると悪いので留守番)、会の参加者のサナエさんが「ひとり暮らしをとことん楽しむ」に出てたアイロンをおぼえてて、かわいい???と言われてものすごくびっくり。

あつい

大きめのトラブル
島の人々の暖かさでかなり復活
陽射しはきつく 汗ばむ
八重山そばは麺が僕の好みではないようだ
これだというのに当たる予感がしない

石垣

着きました
うすらさむい感じ
ウエチのじーちゃん いいオジィ
案内してもらってます