美野里ハイタウン

松戸からバスで10分ちょっと入った個人所有の公団スタイルの団地美野里ハイタウンが取り壊されることを記録されている消えゆく町の記録のスタッフの方のお誘いで現場に行ってみる。
典型的な郊外の団地群でこれが個人の開発ということがすごい。
すっかりゴーストタウンになっていて、子供の頃遊んでいた戸山ハイツの再開発を思い出す。
廃なものの持つ独特の迫力がもう醸し出されていて、この建物への所有者(住人ではない)の愛情が去って久しいことが肌で感じられる。

僕は住んでもいないし、この周囲には思い入れはないのですが、団地粗製濫造時代に入る前の建物なので見た目にも頑丈そうで緑豊かな住環境なのでまだまだ使っていける様に見える。
この丘の上に拡がる団地群は昔の団地なので広い空間があって空が広い。
これを壊すことはべつに僕はかまわないと思う。イヤだけど。
でもここに拡がる空と土と緑をとっぱらってコンクリートとタイルと化成品で覆ってしまうことは周辺環境に悪影響というだけでなく、そこに住むことになる住人に大きなしっぺ返しとなることは確実。こういうたかだか50年くらいで根付いたお粗末な緑でも、人には大きな影響を与えるはず。管理の容易さ、見た目の美しさに騙されると特に子供にしわ寄せが行く。後で気付いてもno use crying。
建設会社や建築家に騙される消費者が悪いと思う。そういう見た目で買ってしまう人の多さが元凶なんだから。

解体工事が進んでいるので、元の住人でも立ち入りが出来なくなっていたので中には入れず。というか、今まで板囲いもされていなかったというのがおかしい。
この団地はオーナーが自分の農地を使って開発したもので、分譲ではなく賃貸だったから普通に生きていればなに不自由なく暮らせたはず。
バブルの末期に金融機関に煽られてババを引かされたみたい。
まぁこんな豪邸に住む時点で狂ってるわけで、、、野球場にあるような夜間照明灯がそびえ立つ芝の広い庭はゴルフの練習のためだったらしい。

元の住人が車に乗って野良猫にえさをやりに来た。
今日が敷地に立ち入れる最後の日と聞いて。
僕も社宅ッコだったからこの気持ちはわかる。僕の場合は知らないうちに建て替えられてしまったので幸せなのかもしれない。やっぱり最後の住人ってのはなぁ。。
公団サイズの狭さ天井の低さは大人になって感じるもので、子供の時はすごく大きく感じた。自分の住んでいた社宅を大人になって何度か訪れたときはガリバーな気分。
電話も当時は階段ごとに共同で一回線だったから共同電話のある階だったウチは電話が踊り場で鳴ると出ては取り次ぎ、その人の家まで呼びに行ったりした。

僕がいまちょっとムキになって慣習や精神文化なんかの日本のルーツを追い求めているのは、社宅族の根無し感が根底にあると思う。
この画を見るだけで、センチになってしまうでしょ。

この跡地がわかっている人によって美しいリフォームがされることを望みます。