早川町


今日も引き続き取材のロケハンで赤沢集落を歩く。
自動車でアプローチできる道が出来てしまったために廃れてしまったまま残っていた街並みが、テーマパークのよう。
講単位での身延→七面登山のための宿で、いまのパック旅行向けの旅館だったのでしょう。
大人数をさばけるよう壁のない襖だけで自由に部屋割りが出来る構造と大人数が一度に旅支度・荷ほどきできるようL字型に縁側と土間が走りそのまま客間に上がれるようになっている。
最盛期は三回転(朝昼晩!!!)していたそうだからラブホ顔負けである。
滞在宿と違うため食事は握り飯程度を供するだけだったので、これだけ風情のある宿だが食事が期待できないのが痛い。


40年ほど前に町の有志により町おこし活動が盛んに行われ、それがキッカケで国の重要伝統的建造物群保存地区の指定を受けるまでになった。
しかし、町おこしが盛り上がったタイミングに観光資源としての基盤整備を出来ず、せっかくの指定も有効に活かしきれていない。


それゆえに嘘臭いテーマパーク化は避けられているのだが、駐車場をはじめとして基盤が整備されていないため住民にとっては権利を制限されるだけで、(改修費用が補助金からでる以外の)リターンが無いためストレスが溜まっているのではないかと想像できる。

早川町


 2000人のホームページの取材が終わったが、早川町が進めているフィールドミュージアム構想の先駆けとして発行をはじめたニュースレターの取材も手伝うことになり次号の取材ロケハンに。
赤沢宿から身延山に抜ける道の途中にある十万部寺周辺の紅葉が素晴らしいというので目指す。車一台がやっと通れる山道。素人目には麓でも十分紅葉美しいのだろうが、たしかのこの大きなカエデのトンネルが色づくと美しいだろう。


十万部寺はとっても変わった構造していて身延への参道を跨いで門のように構えていて右手に日蓮上人、左に妙法さんを対向して祀ってある。


住職の居ない寺であるが偶然にもお上人様がお見えになっていて、お話を聞くことが出来る。
しかも、先日の取材先のお宅に偶然お見えになって1時間ほど一緒に雑談をした方であった。
小一時間ほど十万部寺の謂われからお上人様のお育ちまで頂き思わぬ取材が出来てしまう。
「妙法蓮華経」1部8巻28品69384字をお上人三代で10万回読経したことが由来というのは気が遠くなる。

赤沢 垂れ蜜

早川町

取材したお宅に原稿を校正して貰うために届けに上がる。
赤沢集落のとあるお宅では4年がかりで住まいを新築されている。
大変こだわりのある方で国の重要伝統的建造物群保存地区のため、その規格に従って建てればかなりの額の補助金が下りるのですが、それも棒に振って設計士探しに2年、大工探しに1年を費やしたという。
完成間近なところだったので中を拝見させていただく。ちょっとのつもりが、渡辺篤史状態でいやいやいやいや?すごいですねぇを連発しながら1時間ちょっと。
赤沢の特長の一つの障子の美しさ、しかも格子の材の巾も微妙に変えるほどのこだわりだけあって美しいのひとこと。
七面山を借景にする素敵なお住まい。


さらに地下室も家一軒が建てられるぐらいしっかりとした構造になっている。
コンクリの水抜き穴も安藤ばりに指定したそうで美しい。
この部分も石垣と板囲いで絶妙に目隠しがされる。
裏で走っているモノはハイテク。それを覆い隠すように、社寺なので使われるような特殊な釘や土間に敷き詰めた特注の瓦などのこだわりの建材と細かいデザインがそれらをきれいに覆い尽くしている。


早川町全体で盛り上がりつつある日本蜜蜂による採蜜をこちらも行っている。
しかも、巣を圧搾して取るのではなく重力で自然に落ちる蜜だけを集める垂れ蜜という方法を採用しているのでより雑味のない蜜になるのだそうだ。
話を聞くだけで美味そうで思わず予約してしまう。
その年の天候次第で盛んに咲く花が替わるので味が異なるというのも面白い。
鉢が巣箱から出ていく11月に集め採蜜が終わるのが年明けらしいので乞う御期待。

再び早川町へ


原稿の締め日が今日なのでトンボ帰りで戻る。
休日の6時に出発したので順調に。
時間的な余裕もあるので笹子峠の旧道を走る。
昭和30年代までは現役の峠道だったとは思えないほどの静けさ。
笹子隧道はちょっと怖い感じ。(心霊スポットにされるのも分かる気がする)

調子に乗って旧道を見つけては走る。
どこも防災訓練で消防団のミニポンプ車が出動していて楽しい。車種や装備もまちまちでバラエティ豊か。

東京へ


前夜の酒宴は大フィーバー
床や廊下や机の上などに撃沈したモノどもが眠る中、黙々とPCに向かうモノ一人。卒論発表が間近に控えているのだろうか。。。
大フィーバー大会をこっそりと抜け出し仮眠を取った僕は暗いうちに東京へスタート。


笛吹(富士)川沿いの道は快適で開放感がある。
やまだらけの町から下りて来たから特に。


1時間ちょっとで甲府盆地を駆け抜ける。


あんまり快調に飛ばしていると燃料計を見落とすもので、新笹子トンネルを過ぎた下り坂でガス欠。
民家も見えないところで泣きそうになる。
幸運なことに峠を越えた長い下り坂。
30分かけて9キロほど自走。
セルフだったので一瞬暗くなったが(バイクのタンクは4.5リットルなのに千円単位でしか給油できないところが多い)クレジットカードも使えたので助かった。
キグナスさまさま。


眠気と闘いながら大垂水峠だけは早い時間に越えておこうと頑張る。
八王子に入ったところの交差点のベンチで30分仮眠。


ガス欠や仮眠で遅れたので、休日朝の都心部の渋滞に巻き込まれ結局6時間かかって帰着。
彼女の家で仮眠して、参宮橋のオリンピック青少年センターへ。
ウィルシードの創立3周年記念講演とレセプションに出席。
よのなか科の藤原和博氏と元ユニクロ副社長の沢田貴司氏がゲスト。藤原氏のやらしいオーラは教育者としてどうなのかなぁ。。。沢田氏の問題意識は明確で大変モチベーション上がる。
人材育成会社のパーティーということで僕にはむずがゆい雰囲気。質疑応答さえ我がゴト語りする「積極的」すぎる人々ばかりで目が点。(その中にはなんとTSUTAYAの増田氏もいたりして。。。大丈夫か?蔦屋)
百式の田口さんを誰かから紹介して貰うが、あまりのナイスガイぶりに混乱して百式のサイトの管理をしているぺーぺーかと勘違い。メルマガ読んでますよとか月並みな会話して終わる。

早川町


前日の取材で行きそびれた榑坪(くれつぼ)集落の七面堂に。
集落から山道を歩くこと30分。
近年、きれいに整備された感じ。
七面山の二之池を彷彿とする景色でなごめる。


炎天下での取材が続き戻ると疲労が溜まっている。
が、
取材先から鹿の刺身を頂いたりすると一気に上がるので不思議。
しかも、美味しいおにぎりまで。。。
鹿刺は肝炎の感染源ということもあるので食べ過ぎは良くないらしいが、箸は止まらない。
滋味。

早川町


取材スタッフが泊まる薬袋(みない)集落の氏神様 子安八幡。
苔の絨毯が好きで毎日お参りする。


薬袋集落は南側斜面の扇状地に拡がる。集落はずれには沢も流れ、日当たり・水ともに早川では恵まれた土地。
そば・茶・ぶどうからワサビまで小規模ながら栽培している。


山と川の町なのだが、町の中心を流れる早川はダムが出来、送電用水として山中に掘られたパイプラインでショートカットされるので川幅に較べて水流は貧相。
ダム放水のせいか、無数にある砂利採取場のせいか、水は昼前になると濁る。
生活用水も垂れ流しなので洗剤の臭いがかすかに漂う。


山奥の集落にも郵便屋と宅急便が毎日のように現れる。
宅急便の兄ちゃんは住民がゲートボールに興じてれば、そこに顔出し受領サインを貰っていく。


榑坪という集落で取材。
おばあさんと道端に腰掛けながら話を聞く。
まぁお茶でもと家に呼ばれる。
昨秋けがをして5月までリハビリ施設に入院、車椅子の生活を勧められたほどの方が畑に出て働いている。
道芝を刈ってきて一日干して縄をなうという。


結局、気が付くとお昼までご馳走になる。
出された漬け物にはばぁーーーっと味の素。
今も使われているかのような釜が台所で存在感を放つ。


早川沿いのキャンプ場で川遊びを。
信じられないほど水流が少ない。
おかげで比較的安全に川遊びが出来る。
水は冷たいが泥粒子で透明度も低く、洗剤臭もかすかにする。
野川の方がきれいだと思う。
久々の川遊びはスリリング。


夕食は自炊。
町に夜も開いている飲食店は片手以下。
この日は僕がなんとなく調理担当。
コンビニはもちろん、生鮮食品を売る店は無い(週に2回移動販売車が来る)のでありモノだけで何とか調理。
とうがんのスープ、クーブイリチー(ここでもかい!)、茂倉瓜と豚肉のとろみ炒め、白菜・ツナ・春雨のサラダなどなど、、、

早川町

富士川の支流 早川はこれでもかというぐらい大蛇行を繰り返す。
フォッサマグナが貫く。



日付変わるまで呑んで、朝から取材。
5時には畑に出てる人たちから見れば十分寝坊。
けだるい感じで打ち合わせをすませ、取材に出る。
山の緩斜面に点在する集落ごとにアポ取れるところは取り、それ以外のものはアポ無しで取材。歩いてるばあさんに立ち話で取材したり。そのまま家に上げられ茶のみならず昼飯もご馳走になって土産までもらったり。

早川町へ


ほんと休む間もなく旅が続く
今日からは2000人のホームページを手伝いに山梨県南巨摩郡早川町へ。

ほんとは夜中に出るはずが疲れのために体調不良でたまった仕事を片づけ仮眠を取ったら朝だった。
7時半出発。


スタート遅くなって環七で渋滞。
その後甲州街道も断続的に流れが滞り高尾まで2時間かかる。


しかも上野原から笹子トンネル手前まで何カ所も片側通行で舗装工事をしている。
今の工事は一度に一車線分のアスファルトを削り取る工作車が一気にはつってあっという間に路面の再舗装が可能になるのね。
都心ではあまり見ないスタイル。


新笹子トンネルの手前の峠道は綺麗な道だが40キロ出るかでないかの低速走行。
後続車の邪魔にならないように気を遣う。
が、この新笹子トンネルの3キロだけはそれもならず後続車の来ないことを祈ってぶっとばす。
特にトンネル内は山形になっていてしばらく登り勾配なのがつらい。
しかも、対向車が大型だとかなりの風圧受ける。
かなりの緊張。


途中激しい雨に見舞われて6時間半かかって到着。
着くと雨が止む。
4ヶ月弱ぶりの上文研のある交流促進センター。
しばらくの宿。というか合宿所。


仮眠を取って疲れを取る。
バブル期の勢いで町が作ってしまったキャンプ場LAND ROVER EXへ。
官民から有志が集まって開かれているフィールドミュージアムの準備委員会の打ち合わせに参加させてもらうことに。


もうちょっと生ぬるい感じを想像していたが、町民のかなりシビアな目にちょっとほっとし、問題意識をシェアしているうれしさも感じる。
観光の核になるはずの町営施設のあり方についてかなりの議論がされる。
町だけではどうしようもないレベルの構造的な問題と町レベルだが大きい町ゆえに動きが遅い問題と、すぐにでも変えていける問題がパラレルに話し合われていて、まだ論点の整理と言うより問題意識の共有をしているところ。
そとから手伝わせてもらおうと思う身には頼もしい会議でした。
詳細はその性格上公開できません。あしからず。


手際の良い進行役の方のおかげで堂々巡りになりがちな議論がつぎつぎに片づけられ(正確には宿題か?)2次会に。
バーベキューをしながらなんとなく早川を巡る色々なトピックが自然発生的に話し合われる。
気が付くとてっぺんちかくまで。

早川町へ


山菜祭りの手伝いがてら、原付の旅のテストもかねてふたたび山梨の早川町へ。
大山街道から御殿場経由で駿河湾に抜けて桜エビ食っての目論見のはずが海側の雨天を避けて甲州街道で。朝4時半過ぎに出発。大垂水峠をあっけなく越えてしまい笹子トンネルも原付通行可能であっという間に甲府盆地。早川町まで5時間半の旅。

東京へ


再取材が5時間ものロングインタビューになり山里は日が暮れる予兆。雨の中、奈良田の里温泉まで。すぐそばの白根館のように日や時間によって泉質が変わるのが特徴なのか、ちょっと薄い。硫黄の香りもないし。循環式じゃないのになぁ。。。なんていってると、見る間に雨が雪に変わり山がどんどん白くなっていく。ぬるい湯にたっぷりとつかり雪道を戻る。同じ町なのにこっちは雨。距離にして30キロ弱、標高差500メートル以上。ほんとうに広すぎる町。
10日間の合宿生活を終える掃除や片づけをぱっとやる。なんとなく夕飯を作りはじめて残った4人で最後の晩餐をする。酒を飲まない夕飯がものすごく新鮮!!!!学生研究員の福永嬢をひとり残して帰路につく。基本的にPCを触らない彼女がこのばかでかい建物にひとりで過ごすってのはすごいな。(僕なら寂しくて死んじゃうわ。じゃなきゃ「温もりステディ」が出来てしまいます)

皆さんご苦労様でした。遊佐君送ってくれてありがとう。

桜平


今日の朝の散歩は我々が居る交流センターのある薬袋(みない)集落の裏山を登った桜平(さくらんていら)へ。
麓から300メートルぐらいの高さを一気に登る尾根沿いの古道(スキーの上級者コースぐらいの斜度かな)を息切らせながら行くと突然開けるなだらかな平地。これは早川町の特徴で、もの凄く急な山道を登ると突然広い土地が開け、集落が目の前に現れたり、段々畑跡の杉林があったりする。


今は杉林になっているが(等間隔に植林されているが適切な間伐がされていないので全体に貧弱な木々)、桑の段々畑があったことがはっきりと判る。4?50分ほどでここまで上がれるが、毎日この急峻な山を登り桑の葉を刈り取り、何十キロも担いで下りる(ひとつ間違えば落ちるってことに)ってのはとんでもない重労働だったろう。


そのとんでもなく広い平の中程に早川町でも屈指の大きさであったと思われるお社の跡。今は屋根だけが残るが、この場所にこれだけのモノを作れたということが往時の勢いを感じさせる。

木を切るということ


午後は森林組合の方に取材。
毎朝の散歩で古道・けものみちに入ると必ず迷ってしまうほど倒木・雑木・崩壊だらけで山の荒廃ぶりを実感していたので、その辺りを訊ねてみる。
取材対象が僕と歳が近いので、今の荒れた山の状態が当たり前で育って来ているので今の方が少しずつ良くなっているという。森林組合でさえ木の伐採の仕事などなく(安価な輸入材との価格競争力がないため)、イマドキの山師の仕事は荒れた(あるいは荒れそうな)森林の「造林」・「育林」が主な仕事。
木を切れば切るほど赤字になるっていうことは2?30年で商品になる杉などに関して言えばそれが見越せず、放置した林業政策の失敗と言うことになる。
付加価値の高い木というものはなかなか成育しないからなかなか金にならない(だから高いのだけれども)というジレンマ。
樹勢が衰えるのである程度のサイクルで切ることが健全な森の育成には欠かせないと言う。これから一斉に樹勢が衰える森が増えるので山がますます荒れていくのではないか。
畑と違い自分のやっている仕事の評価が次世代という見えにくいところにあることが山師や山の持ち主のモチベーションやモラルに微妙に影響していることは節々に感じられた。


山に人が入らなくなって低いところまで用心深い生き物たちが下りてきている。里でもカモシカを見かけることがあるという。もちろん、猿・鹿・猪などは当たり前のように里に下りてきている。そして、畑の作物・ホダ木で育てている椎茸などの味を覚えてしまい荒らしまくる。小さい畑で細々と自家消費と小遣い稼ぎ程度の作物を育てていたじいさんばあさんの営農意欲をすっかりそいでしまう。
集落に来た人を最初に出迎えてくれるのが、集落を囲むように害獣対策のフェンスと電流線が張り巡らされ、強制収容所の中に人々が暮らしているような異様な光景。
全てが悪循環している。というか、どんどん里が自然に押し返されているというところか。

早川町


7時新宿発のあずさに乗って雪がみぞれに変わった早川町に10時頃到着
2000人のホームページの取材に参加しています。
ネット環境もしっかりと用意されていますが、その暇もなく山や集落を訪ねて歩いてます。
富士川支流の早川沿いは思いのほか河原が広く山はそびえ立っていますが圧迫感は感じません。
そこから山地に散在する集落がけっこう個性的でおもしろい。
余所者への見えない視線を節々に感じます。
でも道ばたで人に会うことは珍しい。

2000人のホームページ


甲斐犬のページをいろいろとサーフしている人がアイロンのページを見に来る直前に訪れていたサイトだったため、アクセス解析で知ることが出来た山梨県の外れ早川町2000人のホームページ
この1年でもっとも僕にとってエキサイティングなサイトとの出会いでした。
思わずうぉ==とひとり奇声を上げてましたね。
ってことで、
来週よりの取材に押し掛け参加してみるかと思い、ミーティングに参加。
早稲田の建築学部の研究室と早川町のジョイントプロジェクトなので、僕には存在しえないお役所な空気、アカデミックな空気があるのかなぁと緊張気味に参加。
このサイトのシステム管理者の小宮くんの存在でこれは行ける!と確信。元ネットジャンキーの引きこもり(笑)NTTに多大なる貢献!!をしたはずの彼は、この2年はISPとも有線電話会社とも契約していないという、有罪判決を受けた大物ハッカーのような環境なのも好感。

来週よりアイロンの故郷に行って来ます。