進学校から大学へ進むも当時は未知な発達障害のために生き辛さを感じ、放浪生活。そんな人間でも、家族や友人・上司の様々な助けでなんとか家庭を持ち子供を授かることができました。
大きかったのはADHDという努力してもどうしようもない脳の個性が存在することを知ったこと。自分のダメさが脳のためとわかると本当に楽になり、その個性とうまく付き合っていくことを模索できるようになりました。
子供2人が僕から発達障害を受け継いだことで今一度、障害としっかり向き合いたい、発達障害や心の病で困っている方々がよう助けたいと考え、放課後等デイサービスで働き、発達障害児を支援する茨木スパイラルの活動に参加しております。
目に見えにくい障害があることを周知していったり、気軽に相談できる場や障害と上手に付き合うための仕組みをたくさん作ります。